競馬小説 2005

競馬小説 2005

北野義則 秘密の館 有馬記念・同時進行小説

北野義則が2000年から2005年までの毎年末(有馬記念ウィーク同時進行)、 サンケイスポーツ関西版に連載したノンフィクション・フィクション。 そのすべてを紹介するのが、この「競馬小説の部屋」です。

有馬記念同時進行フィクション・猫だまし

2005年12月22日掲載
 名大関・本橋山は、競馬場で出会った若い女と結ばれ、思わぬかたちで財産を失う。謎の地下組織に迷い込み、有馬記念に全てを託す本橋山の運命は?
 
◆◆◆
 
 本橋山は、身も心もボロボロだった。
 
 若い頃に鍛えた筋肉はただの贅肉になり、気合いは遠吠えになり、大銀杏は後頭部へ向けて後退し、ただのお飾りになった。それでも現役である。とうに大関から陥落し、来場所は西前頭17枚目に落ちる。崖っぷちである。
 一刻も早く引退して親方になり、部屋を持ちたい。だがそんな夢は、風前の灯になりつつあった。
 
◆◆◆
 
 平成2年の暮れ。世は空前の競馬ブームだった。老若男女が競馬場に殺到し、若い女性たちは黄色い声で絶叫。泡を噴き、あちこちで倒れた。ブームを盛り上げたのは武豊とオグリキャップの名コンビ。絵画のような輝きを放っていた。
 オグリが復活のVを遂げたその瞬間、一人のうら若き女が気絶した。その華奢な体をガッチリと受け止めた大男、それが、当時30歳の大関・本橋山である。
 無類の競馬好き。GⅠの日は本場所を抜け出して生で観戦し、最終レース後に場所入りしていた。人気力士で、懸賞金だけは多かった。だがこの有馬記念で、先場所分をメジロライアンの単勝にまるまる突っ込んでスッテンテンになった。自分が気絶しそうだった。
 しかしその金と引き換えに、美しい女を得た。気絶から生還させたことが縁で結ばれた女、それが今の女房、将美である。
 将美は本橋山に尽くし、彼はもうひと頑張りしようと考えた。年寄株を取得するのに十分な貯金もあったが、現役続行を願う声も多く、親方になるのは次の大関が誕生してからでも遅くはない。そう思った。
 それが、間違いだった。彼はもともと脇が甘く、簡単にもろ差しを許し、悪い態勢から辛うじて土俵際で小手投げを打つのだが、その脇の甘さは、私生活でも同じだった。あの時、単なるオグリのミーハー追っかけだった将美を、すっかり競馬に染めてしまったのである。角界のかの字も知らなかった将美は、高い給金や懸賞金、そしてごっつぁん体質にまるで金銭感覚を麻痺させ、かなり太い博打を打つようになったのだ。
 彼は、一人の若い女に己の運命が翻弄されることを、知る由もなかった。
2005年12月23日掲載
「明日はマーベラスサンデーと心中よ。ねえ、この単に30万張ろうよ」
 平成8年の有馬記念前夜、タニマチから差し入れられた酒を呷りながら、呂律の回らぬ口で将美は言った。
「ズボズボの追い込みよ。鉄板ポカなし銀行馬券っ」
 すっかり競馬用語を会得した将美にドン引きしつつ、本橋山は冷静に答えた。
「単まであるかなあ。その自信はどこから来るん?」
「ユタカ様だもぉ~ん。以上。よろしくっ」
 こいつ、ただのアホかも。本橋山は心底そう思った。これだけ競馬にのめり込んで、結局それかいっ。
 将美が勝負したマーベラスサンデーは、4角先頭ながらサクラローレルの強襲に遭い、2着に沈んだ。
 そして翌年の有馬記念、将美が意地で単に入れたマーベラスサンデーは、シルクジャスティスの強襲に遭い、また2着に沈んだ。
 
◆◆◆
 
「女には堕落願望というのがあるんじゃよ」
 本橋山から相談を受けた木村蝶之助が、諭すように言った。永年、人生を裁いてきた立行司の言葉には、ずっしりと重みがあった。
「女房を救う方法はただ1つ。それは、人間が何千年も変わらず一途にやり続けていること、つまり肌と肌との触れ合いじゃな」
「相撲ですか?」
「アホか」
 本橋山はやっと悟った。それは彼が、日々稽古に精進するあまり、疲労困憊で床に就き、すっかり置き去りにしていたことだった。
 その夜、本橋山は将美に覆い被さった。
「そ、そんな…いきなり」
 将美は本橋山の下で押し潰されそうになりながらも、久々の快感に喘いだ。
「ご…ごっつぁんです…」
 渾身の浴びせ倒しが見事炸裂し、将美は子を宿した。
「あきらめてくれるな」
 これを機に2人で禁馬宣言だ。本橋山はそう決意し、将美に念押しした。
「ええ、あきらめる…」
 彼の真剣な眼差しに、将美は頷いた。妊娠は女を根底から変える。彼は二重の喜びに充ち溢れていた。

それから7年の歳月が流れたが、なぜか、彼女のお腹が大きくなることはなかった。将美があきらめたのは、子どものほうだった。

手もつけられぬ競馬依存症に蝕まれていた将美は、本橋山の優勝盾や数々の賞品をネットオークションにかけて片っ端から換金し、ますます競馬に溺れ、酒に溺れた。いや、少なくとも周囲には、そう見えた。

2005年12月24日掲載
 北の新地に佇む元横綱・墓ノ花経営のちゃんこバー「墓」。そこは関取衆の溜まり場だった。
 平成16年の暮れ。東にオーストラリア出身の二枚目力士・琴豪州、西にオカマ力士の零座羅門MG(前頭の略)をはべらせ、乱酔する女がいた。将美だった。
「寒いわね。縮みそう…」
「師走でごわす」
「財布のことよ。は~あ、ゼンノロブロイで鉄板だったのね。何がヒシミラクルの復活よ。430万もスッちゃったじゃない」
「面目なかったでごわす」
「また大井まで行って、東京大賞典で取り返すわけ?それとも、手っ取り早く株にでも手ぇ出そっかなぁ」
「株だけはやめといたほうがよろしいでごわす」
「あら、どうして?」
「協会ではいま、株騒動が勃発してるでごわす。株という名のつくもんなら何にでも手ぇ出す村下ファンドが、年寄株を買いつけて、投機の勧誘をしてるでごわす。既に〝年寄株で建設株〟という甘い誘惑に乗って、構造計算偽装騒動で大暴落する株を掴まされ、廃業する親方まで出る始末でごわす」
「そんなに乱れてるんだ。じゃあ、何か他にボロ儲けギャンブルないの?」
「わしの祖国にはカジノがあるでごわす」
 琴豪州がそう言った時、後ろの金屏風がメリメリッと引き裂かれ、彼の顔面に張り手が炸裂した。
「あ、あなたっ」
 本橋山が乱入したのだ。彼は鍋をひっくり返し、辺りはうどんの海となった。
「もう堪忍袋の緒が切れたぞ。おまえのお蔭で文無しや。年寄株の支度金が…。俺はいつまで、現役を続けなあかんのやっ」
 49歳になっていた。現役最高齢力士の記録を毎年更新し、不本意ながら、力士の鑑と崇められていた。
 将美の頭に鍋をぶっかけようとした本橋山の手を、ぐいっと掴む者がいた。オーナーの墓ノ花だった。
「やめっ、本橋山っ」
「離せっ。力士の情け…」
 揉み合ううち、墓ノ花の裾払いが決まり、本橋山はもんどり打って倒れた。横にいた蝶之助の体が反応し、墓ノ花に軍配を挙げた。
「本橋山っ、将美ちゃんはな、競馬に溺れた狂言を演じてるだけなんやっ」
「狂言? 何のこっちゃ」
「将美ちゃん、もう正直に話せ。命が危ない」
 墓ノ花がそう促すと、将美の目から大粒の涙がこぼれ落ち、鍋の中に落ちた。
「猫だましよ」
「ね…猫だましやと?」
2005年12月25日掲載
 折しも相撲界には、閑古鳥が鳴いていた。一階席さえ埋まれば「満員御礼」。それは真っ赤な嘘だった。
 そんななか、観客から喝采を浴びる数少ない名物力士、それこそが本橋山だ。そのわけは彼の必殺技=立ち合いの際、相手力士の目の前で両の手を打つ奇襲技「猫だまし」にあった。
 将美は、猫だましで観客を魅了する夫を見るのが、何よりの楽しみだった。
「あなたが辞めると相撲界はどうなるの? 私、あなたの女房であることが誇らしいの。ずっと見ていたかった。歓声を浴びるあなたの姿を…。ごめんなさい」
 将美は、夫が年寄株を取得して引退することが怖くなり、2人が出逢った想い出の有馬記念を毎年買うことで、貯金を使い果たそうとしていたのだ。
「おまえ…」本橋山はもう、何も言えなかった。
「彼は立派な親方になり、猫だましの技を継ぐ名物力士を育ててくれるよ」
 墓ノ花がそう言うと、将美は泣きながら頷いた。
 この14年で、貯金は150万に減っていた。本橋山は決意した。それなら俺が力を振り絞り、今年の有馬記念で取り返してやる!
 
◆◆◆
 
 平成17年12月24日深夜。「墓」に招かれた本橋山は薄暗い地下室に通された。
「おう、本橋山の。おまえも早ようわしらの仲間入りをしたらええ。親方にな」
 驚いた。声をかけたのは何と、務所ノ関親方である。あっちには手羽海親方、こっちには佐渡桶佐親方…。何ということだ。彼らは毎年、有馬記念前夜、紋付袴姿でこの地下室に集結し、穴馬の情報を交換して大博打を打っていたのだ。
 年寄株の相場は1億円である。本橋山は、資金全額をテーブルの上に置いた。
「おう。ええ度胸やで」
 感嘆の声を洩らした親方衆は、本橋山のひと言で水を打ったように静まった。
「猫だましです」
「な、なんやとぉ?」
「ディープインパクトを破るには、猫だまし…奇襲戦法しかない。菊でも、その手に出たジャパンが2着を残しました。同じ騎手が乗るリンカーン。4角早め先頭の奇襲戦法で出し抜けを食らわせ、ディープとの差を大きく開いて粘り込む。前走、千八を使った猫だましオペラも絡ませて、3連単勝負っ。この配分なら、どれが来ても1億だぁ!!」
「おおっ」
 本橋山が買い目メモを置くと、親方衆は目を見開き、一斉にのけ反った。皆、丸乗りすると言う。何の集まりだと思った。

<完>

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