競馬小説 2004

競馬小説 2004
北野義則 秘密の館 有馬記念・同時進行小説

北野義則が2000年から2005年までの毎年末(有馬記念ウィーク同時進行)、 サンケイスポーツ関西版に連載したノンフィクション・フィクション。 そのすべてを紹介するのが、この「競馬小説の部屋」です。

有馬記念同時進行ドキュメント・混浴露天風呂奮湯記

2004年12月23日付掲載
 舞台は温泉に施した細工をスクープされ、経営難に陥った老舗温泉割烹。窮地に立たされた男が馬券に託した、壮大なロマンとは? 本橋忠は、孤独だった。大量の煉炭を買ってきたものの、自殺する勇気などなかった。一緒にやってくれる友達などいないのだ。
温泉割烹「もとはし」には閑古鳥が鳴いていた。かつては秘湯ブームに沸き、隆盛を極めた。自慢の大きな露天風呂には、K島康介が水泳の練習をしに来ていた。娯楽室の卓球台では、Iちゃんも練習していた。旅館中に「さー」という溌剌とした声が響き渡り、いつも賑やかだった。

「オーレオーレ詐欺!」
大見出しが躍る古いサンスポをくしゃくしゃに丸めながら、彼は唇を噛んだ。乳白色の温泉と偽り、お湯の中にカフェオーレを混ぜていたことをスクープされたのだ。以後、客足はピタリと途絶えた。
「うんもう…社長はん、近頃、ひとつも呼んでくれはれしませんのやなあ」
出入りの芸者・冷奴が、本橋の膝に「の」の字を書きながら甘えた。
「芸者を呼ぶ景気ええ客なんか来るかいな。もうあの時代は戻ってけえへん」
「ほんまに、あの頃はよかったのにねえ」
「そない言うたら、おまえも熟女と呼ばれる齢になったなあ。今年で36か…」
「嫌やわ。おなごに齢の話なんかして。それにしてもよう憶えたはること」
「忘れるかいな。平成元年のことやったな。20歳の祝いに有馬記念でイナリワンの単勝を獲らせてやった。ゲン担いで、お稲荷さんを碗にのせて持ってきたおまえの可愛かったこと…」
「けど幸か不幸か…。儲けさせてもろたお陰で、それから私、旦那さんの…言いなりワンになりました」
「わはははは」
ダジャレに愛想笑いを贈りながら、彼は心で咽び泣いた。思えば、あの的中が躓きの始まりだった。冷奴との関係がバレ、妻の将美は出ていった。給料も出ないんならと、板前も出ていった。餌も出ないんならと、犬も出ていった。そして、誰もいなくなった。
しかし、老舗の看板は守らねばならぬ。本橋は旅館を独りで切り盛りし、慣れない包丁と格闘した。夕べガシラの背びれを刺した指が、今もキリキリと疼く。
彼は疼く指をかばうように冷奴の白い腕を強引に手繰り寄せ、冷んやりとしたその柔肌を貪った。

2004年12月24日掲載
 本橋は、芸者の冷奴との混浴を楽しんでいた。誰もいない。冬眠前に体を温めようとしているのか、ツキノワグマの親子が肩までどっぷりと湯に浸かっているだけである。今年は熊がよく降りてきた。だが孤独な本橋には、彼らさえもが、歓迎すべき客に思えた。
湯船に冬の穏やかな陽光が降りそそぎ、冷奴の白い乳房が透き通るように拝めた。美しかった。無色透明でいいのだ。彼はお湯にカフェオーレを混入させたことを心底悔やんだ。
「本橋はん、かないまへんなあ、真っ昼間から」
驚いた。いつの間にか常連客の二木谷社長が、温泉に浸かっていたのだ。
「社長、お忙しいのに、今年も来てくれはって…」
「年の瀬やもん。またあんたと有馬記念話に花咲かそと思てなあ」 本橋は苦笑した。
「本橋はん、わしね、〝復活〟という言葉が好きでんねん。そやからわし、有馬記念が好きでね。テイオーにオグリ、ローレルにグラスワンダー。み~んな〝復活〟や。特にわし、グラスワンダーには痺れたなあ。馬券も獲らせてもろた。最後まで馬を信じた的場の、男っぷりに惚れたんや。本橋はん、へこたれたらアカン。信じる者と書いて『儲かる』と読む。また儲けたらよろし。世の中はそういうふうになったある。がははははは…」
二木谷社長は、楽天家だった。旅館が傾いても、昔のつき合いで通い続けてくれた。「世の中なるようになりまっせケセラセラ~」が、彼の口癖だった。
「復活かぁ…」
本橋は、湯船から上がった冷奴の光る尻に、指でその二文字を左右一つずつ書いた。ぼちぼち年齢的なこともあるのか。へこんだ尻肉は、弾かれたようには戻って来なかった。***

翌朝、旅館で一泊した二木谷が、本橋のもとへ血相を変えて飛び込んできた。
「本橋はん、あんたこれ…どういうことや!」
サンスポを掴んだ手が震えている。社会面に、大きな見出しが躍っていた。
『温泉割烹もとはし、オーレオーレ詐欺の次は沸かし湯疑惑!』
「カフェオーレだけと違て、まだわしを騙すんか?ここは天然の温泉と違たんか? つき合いも今日限りや。温泉の仙台進出話もなかったことにしてんか」
「こ、これは罠やっ!」
本橋は取る物も取らず、熊の背に跨って山を降りた。

2004年12月25日掲載
 温泉を乳白色にするためにカフェオーレを混入していた本橋は、マスコミを通じてそのことを詫び、立て直しに懸命だった。だがそんな矢先、今度は沸かし湯疑惑をスクープされた。誰がタレ込んだのか?
彼は麓にある妻、将美の実家を訪ねた。
「将美は会えへんてえ」
年老いた将美の母が、ヨン様の作り笑顔をプリントした暖簾を分け、首だけ出して答えた。
「あんたが芸者はんに手ぇ出しとったんは知っとります。けど、将美が戻ったんは、他にもっと大きな理由がおますんやで」
「えっ?」
「あんた、7年前の有馬記念で、人気のヒシアマゾンとナリタブライアンの1点勝負をしたわな。それは前の年とおんなじ組合せ、つまり後追いじゃ。案の定、2頭はぶっ飛んだ。将美はマヤノトップガンで勝負やと言い、わしはタイキブリザードを狙た。その2頭で決まった馬連②⑩が、4770円もついたわなぁ」
本橋は、義母のあまりの正確な記憶力に舌を巻いた。
「母子でボロ儲けさせてもろた。将美はな、あんたの平凡な発想と、あまりの勝負弱さに愛想尽かして、ほいで家を出たんじゃよ」
「そんな…」
彼は、衝撃を受けた。有馬記念で儲けさせてやった芸者と火遊びして妻を怒らせ、有馬記念で買った馬券のあまりの貧弱さで、また妻を怒らせた。彼は己れの運命が、有馬記念に翻弄されていたことを知った。
「おかあさん。うちの温泉は8年前に涸れた。いつかまた湧き出すやろと、今は沸かし湯でしのいどります。でも、しゃあないことでしょう。知ってるのは将美だけ。それをあいつは新聞にチクリよった。恨みつらみは分かるけど、それはないと思いませんか?」
「うんにゃ、あの子はチクッたりせん」
「ほな誰がチクります?」
「わしじゃ」
「あんたかぃ!」
「本橋はん、何でも待ってるだけがノウやなかろ。おなごというもんはな、男がどんなお金の使い方をするんか、いつも観察しとるんじゃよ。自分のお金で温泉を掘って、正真正銘、嘘偽りのない老舗温泉旅館として立て直すんじゃ。それで離れたお客さんも将美も、取り返しなはれ!」
「お、おかあさん…。けど私には先立つものが…」
「あ~りま記念がありまっしゃろ! 運命のな…」
「!」本橋は身震いした。
2004年12月26日掲載
「何でも待ってるだけがノウやなかろ」
義母の言葉が頭から離れない。自腹で温泉を掘って老舗の温泉割烹を復活させ、逃げた客と妻の将美を取り返す。彼はそう決意し、偽りの沸かし湯に憤慨した楽天家の二木谷社長に相談を持ちかけた。彼はその心意気に打たれ、一人の男を紹介してくれた。
「こちら、ライブマドの堀井社長や。今は手広く事業を展開したはるが、元は名前の通り井戸を掘るんが本業でな。温泉掘りなら、この人に任せたらええ」
黒いTシャツにジーンズ姿の若い男が、冷徹に、いとも簡単に言い放った。
「たった1億で掘れます」
「たったてアンタ…」
本橋は額から汗を滴らせながら、サンスポの有馬記念特集欄を広げた。
「そう来ると思たわ。面白い。やんなはれ。わしも有馬記念は大好物や」
ニヤリと笑った二木谷の横で、堀井の目も輝いた。
「堀井社長も好きでなあ。中央で馬を走らせたはる。ホリモンという馬や」
「ホリモンてまた…」  3人は予想に入った。目標は1億円である。資金がない本橋には3連単しかない。彼は予想を開帳した。
「社長は“復活”がお好きです。わし、今回はヒシミラクルの奇跡の復活しかないと思てまんねんけど…」
「ヒ、ヒシミラクルやと?ぐわっはっはっはっ…」
二人は天井を向いてゲラゲラ笑った。本橋も照れくさくなり、一緒に腹を抱えて笑った。溢れる涙を拭いながら二木谷が言った。
「それにしょう」
「どないや!」
「強い者は必ず復活する。奇跡が起きるはずや」
二木谷が後押しし、堀井が冷静な顔で続けた。
「ITデータによると、コイントスは古馬になって重賞を8回使い、3着以内に7回来た。3着なら…」
「ヒシがマクる展開やったら、ハーツとツルマルの3着突っ込みもあるで」
本橋は2人の助言に従ってヒシを1着固定に、2着にゼンノ、コスモ、デルタの3頭、3着にもこの3頭とコイントス、ハーツ、ツルマルを加えたフォーメーション15点勝負に決めた。
どれが入っても1億円にするには、430万円かかる。彼は、二木谷には旅館を、独身の堀井には芸者の冷奴を抵当に、金を借りた。
「よっしゃ、勝負やっ」
彼は自殺用に仕込んだ練炭を温泉の釜にくべ、これで最後になるかもしれない冷奴との、混浴を堪能した。

<完>

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