競馬小説 2002

競馬小説 2002

北野義則 秘密の館 有馬記念・同時進行小説

北野義則が2000年から2005年までの毎年末(有馬記念ウィーク同時進行)、 サンケイスポーツ関西版に連載したノンフィクション・フィクション。 そのすべてを紹介するのが、この「競馬小説の部屋」です。

グランプリ同時進行コメディ・馬と話す男

ギャロップダイナ強襲に気絶 ~理屈で説明できない大駆け~ (2002年12月19日付掲載)
 本橋忠は、マジメだった。暇津製作所に勤務して研究一筋。唯一の娯楽、それが競馬だった。
 17年前の秋、新入社員だった本橋は、先輩の小町隆之に連れられて天皇賞を見学した。小町は、シンボリルドルフの単が鉄板だと言い切り、給料袋ごとその単勝に突っ込んだ。しかしその鉄板は、ギャロップダイナという、13番人気馬の強襲に遭い、フニャフニャに溶けた。
「お、大駆けに遭った…」
 小町は昏倒して救急車で運ばれ、そのまま帰らぬ人となった。
 1年後の冬、小町の仇討ちに燃えて競馬に手を染めた本橋は、有馬記念でダイナガリバーとミホシンザンの枠連1-5で大勝負した。しかしその馬券は、1頭の黒馬の突進によって粉々に砕かれた。そう。その黒馬こそが、あの時の天皇賞馬ギャロップダイナ。今度も11番人気だった。
「大駆けに遭った…」
 1年前、小町が口にしたその言葉を呪文のように反芻しながら、本橋も倒れた。 ボリボリという音で本橋は目覚めた。妻の将美が、重箱の数の子を食べている音だ。1月3日だった。気を失ったまま、せっかくの正月をやり過ごしてしまったらしい。
「大駆け」。うわ言のように、彼は呟いた。
「理屈では説明がつかぬ穴馬の激走を、人はこう呼ぶ。そして人は、そのひと言によって自らを慰め、次へと進んでいくんだ」
「おかしくなったのね。でも意識が戻って嬉しいわ。数の子食べる? いい音する高級品。お見舞いの品」。将美が重箱を差し出す。
「気にいらん」
「どうしたのよ?」
「どうしてギャロップダイナなんだ?」
「アハハ。馬にでも聞いてみたら?」
「う、馬に聞け…だとぉ」…ガーン!
「何よ、今のガーンって、音…」
 本橋の脳に、武蔵丸に羽交い締めにされてユッサユッサと揺さぶられたかのような強い衝撃が走った。
テイオー復活に涙と決意 ~最後の最後に残っていた切り札~ (2002年12月20日付掲載)
 年明け早々、彼は社内公募の企画書に「馬語翻訳装置の開発」と書いて応募した。突如激走した馬そのものに、その理由を聞く。ヘソが茶を沸かしすぎて破裂してしまいそうな話だったが、彼は大マジメだった。なぜか研究は承認され、彼はそれに没頭した。
 ◆     ◆     ◆     ◆     ◆     ◆     ◆     ◆
 15年の歳月が流れた。アッと言う間だった。
「本橋君! そろそろ潮時だ!」
 財務局次長の江之川がまた吠えた。仕方なかった。馬語の翻訳は大幅に遅れ、もはや夢物語になりつつある。いくら研究に理解を示す暇津製作所でも、開発費用捻出には、限界があった。
「昨日、また未勝利馬を払い下げてもらったらしいな。もう馬房も金もない。勝手な行動は困るよ。あちこち、馬だらけ。うちの会社は何屋さんかわからん状況だ!」
「それでもサンプルが必要…なんです」
 本橋は蚊の鳴くような声で反撃した。世界中の獣医や声紋分析の大家・松木鈴男の協力を得、既に200頭の馬の鳴き声を集め、それを解析してきた。馬のハミに小型マイクを装着。悲しい、楽しいなどの勘定分析は、かなり進んだ。あとはこれを具体的な日本語に落とし込む作業だけとなっていたが、理論的には可能でも、それを解析する装置の開発には、あと1億円必要だった。

「日本テレビの『マネーの虎』にでも出て、出資をお願いしたら?」
拾ってきた木に脱脂綿を散らかしてクリスマスツリーの準備をしながら、妻の将美が提案した。
「美空ひばりの息子にテレビで偉そうに言われるぐらいなら、自分でやるさ」
「先立つものがないじゃない。でも…」
「でも、何だ?」
「あなた、トウカイテイオーが有馬記念で復活した時、泣いてたわね」
「え? 何を言い出すんだ、いきなり」
「あなたの優しさに触れた気がして、あの時から馬を心底愛するあなたを生涯支えようと、心に決めたの。最後の最後には、私が切り札を切ってあげるわ」
「切り札?」
 将美の言葉が何を意味するのか、本橋には理解できなかった。

切り札は崩壊馬券 ~妻の勝負強さに仰天~ (2002年12月21日付掲載)
 2002年12月21日。暇津製作所は研究テーマを見直す最終会議に入っていた。本橋の研究にいら立ちを募らせていた財務局次長の江之川は、秋に玩具メーカーのタカラが犬語翻訳装置「バウリンガル」を売り出したことに触れ、先を越された類似品開発の中止を提案した。不況の折、それはあっさりと承認され、会社は15年続けた馬語翻訳装置の開発を凍結した。
 本橋の脳に、ボブ・サップにカウンターパンチを食らって、ボコボコにされたかような強い衝撃が走った。
 ドンガラガッチャン! 向こう3軒両隣が一気に目を醒ますほどの轟音が、深夜の本橋家に鳴り響いた。荒れた本橋が、家の冷蔵庫を持ち上げて床に叩きつけたのだ。
「お願い。やめて」
 散らばった茄子の浅漬けとイカナゴの釘煮を拾い集めて交互に口に運びながら、妻の将美は泣いた。
「俺の15年は何だったのだ! あと一歩で馬と話せるんだ。なのにあのバカ会社…」
「嫌よ、嫌。研究者は挫折してはいけないわ。会社が何よ。研究を続けて。装置を完成させて。私がお金を出すわ!」
「冗談を言うな! 1億円いるんだぞ」
「これよ!」
 将美は、ひっくり返った冷蔵庫の野菜室を指さした。飛び出たコンビニの袋から、札束が顔を出している。
「なんだ、これは…」
「485万5000円あるわ」
「えらい中途半端な。しかしそんな大金、おマエ、どうして…」
「去年の有馬記念を内緒で1万円買ったの。去年はどう転んでもマンハッタンとアメリカンで仕方なかったのよ」
 将美は、一緒に袋に納めていた的中馬券のコピーを本橋に渡した。
「し、信じられん。あの崩壊馬券が、我が家の崩壊を救ってくれるというのか…」
 本橋は驚いた。妻のあまりの勝負強さに…。
「これを今年の有馬記念に突っ込んで1億円にして、あなたの夢を実現させるのよ!」
 将美の熱い想いに、本橋は震えた。彼はそのまま将美に覆い被さり、一気に衣服を剥がした。二人は倒れた冷蔵庫の上で絡み合い、ヒンヤリした感触を楽しみながら、数年ぶりの愛を確かめあった。あすは勝負である。
W杯開催祝記念だコイントスに軸決定 ~いけるゾ3連複で1億円~(2002年12月22日付掲載)
有馬記念当日の朝刊に掲載
 「で、どうだった?」
 22日の朝、将美が弾むような声で出迎えた。レースの急所である“ファインモーションの取捨”を探れという妻の命令を受け、本橋は出張馬房を訪ねていたのである。15年間、馬語翻訳装置開発のため、馬たちの鳴き声を分析してきた。彼には馬の気持ちがある程度、理解できるのだ。
「寂しいと言っていた」
「ほんと? 確かにそう言ったのね?」
「言葉は装置がないと解明できないが、ヒヒヒン、ヒヒン、ヒヒヒヒンと小刻みに鳴いたあと、クゥ~ンと首を振った。これは、いななき分類パターン『へ』の93項に該当し、寂しい気持ちの表現なんだ」
「そう。やっぱり女の子ね。初めての長距離輸送で見知らぬ土地に行って不安なのね。かわいそうだけど馬券からは除外ね。やったわ。これだけでも凄いじゃない」
1番人気を外すことを前提に、二人は予想に専念した。
「有馬記念は、その年を象徴する馬が来るわ」 そんなことでいいのかと思いながらも、本橋は逆らえなかった。何せ、去年の大穴を奪取したのは妻の将美なのだ。
「今年はW杯が日本で初めて開催されたから、まずコイントスだな。サッカーの儀式だ」
「いいわ。軸決定!」
「ほんまかいな」
「ノーベル賞の受賞式にちなんでタップ“ダンス”シチーもいいね」
「カレー事件に動機がなかったから理由なしでノーリーズンもいいな」
「その3頭で完璧!」話は意外に早くまとまった。とは言っても、この3頭に去年の払い戻し金486万5000円を全部ブチ込むほど、二人は呑気者ではない。実力馬シンボリとジャンポケを加えた3連複での勝負とし、①②⑥に70万、①②⑧に40万、②⑥⑨に60万、②⑧⑨に30万、残り286万すべてを①②⑨に突っ込むと決めた。どれが来ても1億円超。これで、夢にまで見た馬語翻訳装置が作れる。
「5000円余るわ」
「それでトップロードの単を買う。渡辺が勝った時、一緒に泣くんだ」
「あなたってステキ」
 二人は昼間からまた愛し合った。この幸せは、とりあえず3時20分まで続いた。

<本橋忠1億円プラン>
①②⑥(シンボリクリスエス・コイントス・ノーリーズン)70万
①②⑧(シンボリクリスエス・コイントス・タップダンスシチー)40万 
的中!!!
②⑥⑨(コイントス・ノーリーズン・ジャングルポケット)60万
②⑧⑨(コイントス・タップダンスシチー・ジャングルポケット)30万
①②⑨(シンボリクリスエス・コイントス・ジャングルポケット)286万
ウッソ~!! 1億6228万円だ~!! ~将美気絶、本橋は小便を…~ (2002年12月23日付掲載 )
番外編
 2人は中山競馬場に出陣し、震える手で468万5000円を窓口に一気に突っ込んだ。
 鉛色の空が、本橋を不安に駆り立てる。
「何を弱気になっているの」
 妻の将美が本橋の背中を、腫れ上がるほど思い切り叩いた。こんな時は女の方がよほど根性が座るもんだな…。彼は苦笑しながら、改めて手にした馬券をみつめた。
 あながち、無茶苦茶でもない。コイントスは中山で底をみせておらず、叩き2走目で名手・岡部の手綱。タップダンスシチーは中山と阪神、つまり坂越えの中距離を十八番とする。そこへペリエか蛯名か藤田が突っ込めば1億円なのだ!
 ファンファーレが轟いた。本橋の心臓はバコバコと動き、尻の穴から飛び出しそうだ。
 タップダンスシチーがリズミカルに、踊るように逃げている。
「そのままよ、死ぬまで逃げるのよ!」
 将美が髪振り乱し、絶叫した。
 その声は…、届いた。
 シンボリとコイントスがタップダンスを囲み、3連複①②⑧。1億円のフィニッシュが決まったのだ! 将美は気絶、本橋は年甲斐もなく小便を漏らした。
 1億6228万円。これで夢の馬語翻訳装置が作れる…。2人はふかふかの札束の上でまた愛し合った。あまりの熱い抱擁に、札束が2、3枚燃え上がった。子どもまでできてしまった。それだけが唯一の誤算だった。

<完>

過去のヒット推奨馬はこちらからどうぞ

北野義則の秘密の館 別館 競馬小説 2002

資料請求はコチラからお気軽にどうぞ!

北野義則シークレットメンバー資料請求

Top