競馬小説 2001

競馬小説2001

北野義則 秘密の館 有馬記念・同時進行小説

北野義則が2000年から2005年までの毎年末(有馬記念ウィーク同時進行)、 サンケイスポーツ関西版に連載したノンフィクション・フィクション。 そのすべてを紹介するのが、この「競馬小説の部屋」です。

競馬小説2001 フィクショングランプリ・三つ子の魂 有馬で

予想は当たっているのに… ~極端に勝負弱い男 本橋~(2001年12月20日付掲載)
 本橋は勝負弱かった。いつもそこそこいいところまでいくけど、最後の詰めにきて負けた。

 一流大学を受験し、自己採点では合格ラインだったが、なぜか不合格。浪人し、真剣に勉学に励んで今度こそと予備校の先生に太鼓判を押されながらも、試験当日に寝坊した。「爆弾を仕掛けた」と大学に電話して試験開始時刻を遅らせたまではよかったが、試験会場に向かうタクシーがパンクして、結局遅刻した。
 腐った本橋は、進学を断念してフリーターになり、競馬に没頭した。

 昭和62年の有馬記念。穴っぽいメジロデュレンとユーワジェームスが組んだ4枠を鉄板と決め、4枠から総流しの買い目をメモして、梅田に行くという母親についでに馬券の購入を頼んだ。
 その2頭が2頭とも突っ込んできて彼は絶叫した。写真判定の末4-4の万馬券となったが、ふと馬券を見ると1-4から4-8まで7点あるのに、4-4だけが抜けていた。冷や汗を垂らしながら問いただすと、「4が二つも並ぶとゲンが悪いから、それだけはやめといたよ」と母親はアッケラカンと言った。
 勝負弱すぎた。しかし予想は合っている。そこが始末悪かった。彼は自信を深め、益々競馬にのめり込んだ。だが、その勝負弱さには、日増しに磨きがかかっていった。

 平成13年10月7日、京都大賞典。彼はオペラオーの仕上げを疑い、別の馬での勝負を画策。ナリタトップロードとステイゴールドの単に1万ずつ賭けた。しかし、トップロードは落馬し、1位入線したステイゴールドは加害馬とされ、失格となった。
 手にした馬券の上に、涙と鼻水が滴り落ちた。狙いは間違っていないのだ。だが、落馬と失格。よりによって、被害馬と加害馬の単勝を買ってしまう己の勝負弱さに、もう愛想が尽きていた。
 2週間後の菊花賞。彼は「これが最後」とゼッケン⑩番、マイネルデスポットの前残りを予想して流し馬券を買った。デスポットは見事に2着に粘ったが、なぜか②番のマンハッタンカフェを塗り忘れ、4万円馬券を逸した。
 その日から本橋の消息がプツリと途絶えた。

熊野山中に「博運道場」 ~本橋の前に現れた謎の老婆~(2001年12月21日付掲載)
  己の勝負弱さに呆れた本橋は、切り立つ崖から菊花賞の抜け目馬券を紙吹雪にして谷底にバラ撒き、大声で吠えた。
 「マンハッタン、カフェめえっ~!!」
 「マンマンマン…ハッタンハッタンハッタン…カフェカフェカフェ…めえっめえっめえっ…」
 山びこが空しさを増幅させた。その様子は、誰が見ても変だった。だが、誰も見ていなかった。
 
 彼は今、熊野の奥深い山中にいる。険しい山を踏破することで、その勝負弱さを何とか振り払おうとしていたのだ。
 道なき道を行くうち、朽ちかけた木の看板に出くわした。墨字で<博運道場 この先>とある。
 「博運道場やと?」
 こんな人里離れた辺境に、自分のために用意されたような施設があるとは…本橋は独りで笑った。
 雑草が生い茂った小径は、杉の巨木を境に双手に分かれ、枝に小さな看板が吊るされている。
 <どっちに進むか 賭けに出よう!>
 さすがは博運道場だと唸りながら、本橋は左を選択した。行き止まりだった。よりによって裏目である。抜群の勝負弱さ。
 倍ほど歩いて道場の門をくぐると、腰が曲がった老婆が出迎えた。
 「博運道場って…?」
 本橋が尋ねると、老婆は皺の間に溜まった垢を爪でせせりながら語った。
 「“三つ子の魂百まで”という諺をご存知か?」
 「ええ、まあ」
 「この世にゃ、生まれながらにして“勝負弱さ”を授かった者がようけおる。博運がない者はとことん博運がない。ほんまじゃったら終生ついて回るんじゃが、厳しい修行に耐えて神に合掌すれば、博運は備わる。ここは、巷の勝負弱い人間どもが集まる修行の場。じゃからして勝負弱いという証しさえ見せてくれりゃあ、来る者は拒みゃせん」
 本橋はわけの分からぬ方言を使う老婆に、あの落馬失格馬券を見せた。
 「ククク…」老婆は皺を波打たせて笑った。
 「あれは失格じゃ。あんな時は左鞭を入れんと」異様に詳しい老婆であった。
 手作りの大きなサイコロを振らされた。大か小かを宣言し、裏目が出れば入門できる。
 「大!」と言い放ったが、出た目は「1」であった。
“荒行”2ヵ月…いざ勝負 ~有馬 獲れれば下山、外せば地獄~ (2001年12月22日付掲載)
  古びた博運道場には2人の先輩修行者がいた。小町と加藤である。
 「私、3年前の皐月賞で、それはドえらい目に遭いましてね…」小町が語りだした。
 「シルクライトニングから千円ずつ総流ししようとしたら財布に1万6千円しかなかってね。『これはいらんわ』と最後の⑱番サニーブライアンだけ切って16点買うたら、その17点目が来て500倍。殺生ですわ」
 凄まじいほどの勝負弱さに本橋は感心した。それ以来、彼はここで修行を続けているらしい。恐ろしいことである。
 加藤も負けていない。
 「メジロパーマーの有馬記念で③-⑥の300倍を3万買うつもりが、何を慌てたのか枠連3-6を買ってしまってね。その勝負弱さに呆れられて嫁ハンに逃げられてすぐの入門ですから、かれこれ9年目ですか…」
 腰を抜かした。上には上がいるもんだ。その言葉からは、「惜しかってん、聞いてくれぃ」という勝負弱い人間ならではの悲しい叫びが、ヒシヒシと伝わってきた。
 彼は麻雀でいい手を上がれなかった時に未練がましく自分の手を開く、あの光景を想像して苦笑した。

 道場のルールは、女っ気は勿論、テレビなどの娯楽は一切なし。予想修行用に日付の古いサンケイスポーツが置かれているが、「おはようサンスポ」の紙面だけはきっちり抜き取られていた。
 修行メニューは、馬の名前を般若心経のように唱えながら山頂の馬頭観世音に裸足でお参りする「回峰行」、滝に打たれて勝負弱い贅肉を取り去る「水行」、ペリエと武豊が異国から戻らないことを祈願する「魔除行」など、様々である。
 そんな修行を続けるうち、頭の中で今がドン底であることを示す“コツン”という音が聞こえたら、その瞬間から運気は上昇の一途をたどり、修行者は勝負強い人間に変貌を遂げるという。そして毎年、最後の有馬記念をもってその成果を試し、ここで馬券を当てれば、そこで初めて下山を許されるというのだ。
 本橋がこの過酷な修行に加わってから、瞬く間に2ヵ月が過ぎた。道場から望めた紅葉も舞い散り、いよいよ、有馬記念が明日に迫っていた。

3人とも④の単100万円 ~絶対卒業してやる~(2001年12月23日付掲載)
 12月23日早朝、本橋、小町、加藤の3人は、山伏の白装束に身を包み、松明の灯火を掲げて最後の回峰行に出かけた。
 もう、身も心も軽くなっていた。風がこれほど心地よく、水がこれほど甘いものなのか…。
 滝のつららが岩に落ちたと同時に、本橋の脳裡で今がツキの折り返し地点であることを示す“コツン”という音が鮮明に響いた。今から博運が上昇に向かうのだ。必ずや有馬記念を当てて博運道場を卒業してやる。彼は拳を握りしめ、馬頭観世音の前で仁王立ちした。
 
 3人は御神木の下で車座になり、パソコンからプリントアウトした出馬表を取り出した。3時には買い目を決めて阿闇梨様の許可を得、PATで投票しなければならぬ。何もないオンボロ道場だったが、賭博施設だけは完璧なのだ。
 「オペラオーを負かせる馬は何か…という視点で考えましょう。ドトウとトップロードは勝負づけが済んでいる。3歳馬を軸にしませんか?」
 「ほな、シンコウカリドですか? シンコウ勢力というくらいやから。うひゃひゃひゃ~」
 ずっとここにいてろ…と本橋は思った。
 彼の心の中では、勝ち馬はマンハッタンカフェで決まっていた。己のいきざまを象徴するかのような菊花賞の最低馬券。ここでマンハッタンカフェを買って人生そのものを取り返す。本橋は、密かにそう誓っていたのである。
 問題は馬券だ。実は道場の掟で有馬記念は一点勝負し、それで勝つことこそ、厳しい修行に耐えて自らを勝負強い人間に磨き上げた証になると定められていたのだ。
 
 「阿闇梨様だ!」
 小町と加藤がひれ伏す。
 「何に博運を託さむ…」
 本橋は驚いた。何とあの門前の老婆こそが、阿闇梨様なのであった。
 「阿闇梨様、マンハッタンカフェの単で勝負させて頂きます!」
 「うむ、なるほど。マンハッ単ちゅうだけにな」
 本橋は崖から足を踏み外しそうになった。女阿闇梨は、実に軽かった。
 「3人ともマンハッタンに決めハッタンやな?」
 まだ言うか…と本橋は思った。2人とも頷いた。
 「この馬に修行の成果を託します。3人で単勝に100万張って、道場を卒業させて頂きます。お金は配当金でお返しします」
 「よかろう。勝負強うなった証を立てんがため、100万単位で張るがよい。なにしろ、万張ッタンというくらいじゃからな。があっはっはっは…」
 女阿闇梨は腹を抱えて笑った。本橋は、何としても馬券を当ててこんな道場、さっさと抜け出してやろうと、心底思った。

<完>

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